4.be動詞

その1. be動詞に対する疑問

辞書を引くと、be動詞の訳は「〔動〕・・・です・・・である,ある いる(存在する)」とある。
「ある いる」は日本語でも動詞だからいいとして、問題なのは「・・・です・・・である」の方である。
日本語では助動詞なのに、なぜ英語では動詞なのか?
また、これらはあらゆる日本文の語尾に比較的自由に付けられる。
では、これらが付けば全てbe動詞を使ってあらわすのか?

その2. 英文の形に対する疑問

英文の場合(肯定文では)、主語のあとには必ず述語動詞がくる。
しかし、日本文の場合、述語が必ずしも動詞とは限らない。
では、述語が動詞で無い日本文を英文にする時、述語動詞はどうするのか?
無ければ置けないではないか。それでは、述語が動詞で無い日本文は英文にできないのか?

 

これが、私がぶつかった「最初の壁」であった。
そこで、まず「その1」を解決するため、be動詞の使われている文を挙げて、それらの共通点を探してみることにした。

I am a teacher. 私は先生です。
She is happy now. 彼女は今幸せだ。
He is very kind. 彼はたいへん親切だ。
This is a pen. これはペンです。
We are good friends. 私達はいい友達だ。
This car is new. この車は新しい。
They are busy now. 彼らはいま忙しい。
That flower is beautiful. あの花はきれいだ。
He is at home. 彼は家にいる。
10 Alice is in Wonderland. アリスは不思議の国にいる。
11 His book is on the desk. 彼の本はその机の上にある。

これらの文章にはbe動詞が使われている。まず、日本語訳から見ていこう。
共通点を探してみると、これらは2つのグループに分けることができる。
ひとつは1~8までのグループ、もうひとつは9~11のグループである。
私は次の理由でこのようにグループ分けをした。

1~8:述語が動詞ではない。

述語の構成を見てみると、
1、4、5は(名詞+助動詞)
6、7は(形容詞)
2、3、8は(形容動詞)である。
このように、これらの文章はすべて述語が動詞ではない。
つまり述語が動詞ではない日本文である。

9~11:述語は動詞である。

この3つの文章は述語が動詞である。

そして、それは「存在する」という意味の完全自動詞である。

【解説】

9~11の文章については問題点はない。
「存在する」という意味の「いる」「ある」は辞書のbe動詞の訳そのままである。
したがって、これらの文章に使われているbe動詞については納得できる。
問題なのは1~8までの文章である。これらの訳にはすべて「・・・です・・・である」が付いているわけではない。付けて付かないことはないが、付けない方が自然な文章(述語が形容詞,形容動詞のもの)が多い。

 

また、次の文章はどうだろう。

A 私は昨日そこへ行ったんです。
B 彼もその本を持っているんです。
C 私は彼と英語を勉強したんです。
D 私は医者になるつもりです。
E あなたは帰ってもいいです。

すべてに「です」を付けてみたが、これらの文章は決しておかしくない。
それでは、これらを英訳してみよう!

A I went there yesterday.
B He has the book,too.
C I studied English with him.
D I will become a doctor.
E You may go home.

「・・・です」だからbe動詞と考えるなら、これらは全てbe動詞を使って表されるはずである。
しかし、これらの文章にはbe動詞は使われない。

 

これらを考え合せると、日本人として英文をみていく時、助動詞である「・・・です・・・である」をbe動詞という名の動詞として理解するにはやはり抵抗がある。要するに、be動詞を「・・・です・・・である」という訳で追いかけるには無理があるのである。

 

そして、ここで注目すべきなのは、「1~8・・・述語動詞が無い。」という共通点。
つまり、「be動詞の使われている英文を日本語訳したら、述語が動詞ではなかった。」という結果がでたことなのである。

 

これを逆にとらえてみると、「述語が動詞ではない日本文を英訳すると、be動詞が使われる。」ということになる。

 

この考え方はどうであろう。不思議にも、これは「その2.英文の形に対する疑問」を解決する答えと一致してくる。これが英文を統計的に分析した結果より得られた結論である。
もちろん、言葉として英語をとらえた場合、この結論には無理があるのは承知の上である。なぜなら、アメリカ人やイギリス人は「述語動詞の無い日本文を英文に変える時、述語動詞の置きようが無くて困るだろう。」と日本人のためにbe動詞を作ってくれたわけではないのだから。

 

しかし、どうであろう。「主語のあとには必ず述語動詞を置く。」ことを決まりとした英語の始まりを考えて見ると、「述語が動詞でない場合、文章構成をどうしようか。」考えはしなかったであろうか。
そして、生まれてきたのがこの「be動詞」とは考えられないだろうか。(もちろん、言語なのだからこんな理屈ではなく自然に生まれたものであろうが。)